2014年8月15日金曜日

蝉の抜け殻

悲しいニュースを聞きました。
慰めようがなかったんです。
人はそれぞれ、心の傷を持って生きていると思います。
私の傷は、人に比べて大きくないのかもしれません。
でも悩んだり、落ち込んだりしている人がいて、少しでも救いになるのなら、と思って告白します。長文でスミマセン。

「蝉の抜け殻」 
     井上慶子

もう9年も前の事だ。
東京の恵比寿でレストランをしていた頃の話である。

お腹に赤ちゃんがやって来た。まだ5mmか6mmの赤ちゃんだった。
嬉しくて、毎日が夢の国いるみたいだった。
いつも通るJR恵比寿の構内も、いつもと違ってキラキラして見えたし、
代官山駅に続く内記坂だって、いつもと違っていつまでも歩いていたいくらい素敵に見えた。

でもその夢の世界は1カ月も続かなかったんだ。
出血が始まった。
毎日が不安で不安で仕方がなかった。
仕事もしなくちゃいけないし、でも毎日少しずつ出血する。
病院に行ってもどうしようもない。
お祈りするしかなかった。

そしてあの日が来た。
朝方、お腹の激しい痛みで目が覚め、トイレに行くと大量の血液。
もうこれで赤ちゃんを失うんだ。と言う悲しみを感じる事も出来ないほどの痛み。
「大丈夫だよ。大丈夫。」と優しく言う旦那さんにも、顔も見ずに「もう大丈夫なわけない。」と答えるのが精いっぱいだった。
這うように病院に行って、手術をした。

宝石箱のように大切にしていたおなかの中は、何も無くなった。
辛かった。
何を見ても辛かった。
・・・元気なことりちゃんがやって来るまでは、ね。

その後、このみちゃんも元気に産まれて来てくれた。
私はどんどん欲張りになって、もう一人欲しくなったんだ。
そして、順調に赤ちゃんがやって来た。

病院に行くと先生が、次の診察の時に出産予定日を知らせますね。と仰った。
次の診察日、私はスキップしながら病院に行った。

すると先生の一言で奈落の底に落ちた。

「赤ちゃんの心臓はもう、動いていません。」

頭をハンマーでガツンとやられた気分。
違う。心臓に杭を刺された気分。
泣きながら、病院からどうやってお店に戻ったのか覚えてない。もう37にもなる女が一人で、だ。

早く手術しないと、母体が危険。と言われた。
可愛いはずの赤ちゃんが、私の体には爆弾並みの危険物となったのだ。
入っている予約もお断りして手術する事にした。

その上、手術前日に足の裏を怪我し、1週間歩けなくなった。
それも深夜に流血の騒ぎ、である。

一体私はどうなってしまったのか。

赤ちゃんもいなくなった。
歩けなくて仕事も出来ない。
周りの人に一杯一杯迷惑をかけた。
辛い辛い時期だった。

その頃のある日の夕方、気持ちがどうしようもなくなって、レストランのメインダイニングで独り、馬鹿みたいに泣いた。
椅子に座ってられなくなって床に突っ伏して、化粧が無くなって顔が腫れるまで泣いた。
それが私の、2012年の春。

2013年。暑い暑い夏に双葉が産まれた。

双葉が1歳になった、この2014年の8月。
先日、おなかの赤ちゃんを失った知人がいた。
落ち込んでいるらしい。
そうだろう。 慰めの言葉も見つからない。

庭に、蝉の抜け殻があった。
なんだか切ない。
去年の暑い夏を思い出し、その前の年の辛い思い出を思い出し、9年前のあの事も思い出す。

人は、こうして歳をとっていくのかな。と、2014年の夏を過ごしている。